628D91E5-A27A-467C-8ED3-6103133791C8

祖父を肺癌で亡くし、一人暮らしをしばらくしていた祖母だったが、ある日、阪神淡路大震災が起こる。祖母は滋賀県大津市に住んでいたので、私は心配になり、地震の速報をテレビのニュースでみたその朝、6時ごろに祖母に電話した。祖母は拍子抜けするぐらい元気に電話に出て、

「何にも揺れへなんだで。大丈夫や。」

と言ったので、ホッとした。

祖母の一人暮らしを心配して、母や叔父叔母たちが祖母を交代交代で預かり、一緒に暮らすことになる。祖母は私の家に住むことになった。

私はちょうど勤めを辞めて、家事手伝いをしていた。家を新築したばかりで、祖母は新しい部屋にベッドを置いた、当時自炊していた妹が使わない二階の一室をあてがわれて、恐縮していた。山桜の咲く山が窓から見えて、私も母も父も祖母を歓迎していた。

祖母は肝臓の数値が良くなかった。C型肝炎を患っていた。食事は肝臓にさえ気をつければ、あとは何を食べてもよいと医者に言われた。お酒は飲めない祖母だった。

私は、どうせ家にいるので、毎日の食事の用意をすることにした。おばあちゃんにいいところを見せたかった。

祖母は何も手のかからないお年寄りだった。なんでも自分でできた。お風呂に入っている時だけ、シャンプーをしてあげて、リンスして流してあげた。それから、背中を石鹸をつけた垢すりで擦ってあげると喜んでくれた。

昼間は、洗濯物を一緒にベランダに干した。祖母はどういう訳か、洗濯バサミの色にこだわって、男物のシャツにはブルー、女物のブラウスにはピンクの洗濯バサミじゃないと納得しなかった。あれは、どうしてだったんだろう。

狭い庭だが、祖母と一緒に家庭菜園を楽しんだ。ナス、ミニトマト、二十日大根、胡瓜を植えた。祖母は朝起きて、朝食を食べると庭に出て、草取りをしていた。私はNHKの朝の連続テレビ小説の『すずらん』が始まると、それを、『萌ちゃん』と呼んで楽しみにしている祖母に始まったよ、と教える。祖母は長靴を脱いで軍手を外して、手を洗って、テレビの前に来て、十五分のドラマを観るのだった。

朝食は毎朝、母が作っていた。祖母のために柔らかめにご飯を炊いた。祖母はそのおかゆのような柔らかいご飯に、きな粉をかけて食べていた。父も母も私もその柔らかいご飯を一緒に食べた。祖母は食欲も旺盛で、元気に食べていた。そして、毎食後に葛根湯を風邪予防に飲んでいた。

その薬を、色紙で包んで、一週間分用意して、祖母の引き出しに入れてあった。5センチ四方の折り紙を三角に折って、昔、粉薬を包んであった紙のように、葛根湯と肝臓の薬を一回に飲む分量だけ包んであった。こういうことをきちんとする人だった。

というのも、祖母の父、私の曽祖父が医者だった。祖母の母は看護師で、夫婦で田舎で開業していて、曽祖父は赤ひげ先生のような、本当に立派な髭を蓄えたお医者さんだったそうである。祖母が健康志向なのは、多分、幼い頃、両親から受けた影響ではないかと思う。

祖母はユーモアのセンスがピカイチだった。毎晩、晩ご飯の時は、祖母を中心に一家団欒が一時間続いた。楽しい人だった。

私の作る晩ご飯は、一汁二菜を心がけていて、そして、祖母が果物に目がないので、何か水菓子をデザートにつけた。豆腐ハンバーグもよく作ったし、ポテトサラダも喜んでくれた。ロールキャベツも美味しくできた。白和えにも挑戦した。生のパイナップルを買って来て、半分を四つに分けて切って出したら、祖母が、

「缶詰しか食べたことなかった。美味しい、美味しい。また、こうて来てな。」

と、嬉しい催促をしてくれた。

バナナが大好きで、バナナだけは切らさないで欲しいと頼まれていた。お通じにも良いからと、毎日一本食べていたと思う。祖母は本当に元気だった。

(第三話に続く)

下のリンクをタップしてくださると嬉しいです

<a href=”https://blog.with2.net/link/?1994529″>人気ブログランキングへ</a&gt;