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ある日、美容院に行きたいというので、駅までバスに乗って、私の行きつけの美容院に一緒に行った。祖母はショートカットにしていて、髪を染めず、白髪だった。エスカレーターを怖がりもせず、チョンと乗って、

「おばあちゃん、自分で言える?」

と訊くと、

「言える言える。」

と、美容師さんに自分で注文していた。

帰りにイタリアン・ジェラートを食べた。祖母はいちごミルク、私はミルクを食べた。祖母が奢ってくれた。

祖母はPHSを持っていたので、自分で好きな時に叔母や大津にいる大叔母、その他友達などに電話していた。そして、枕元にライトをつけてあげたら、寝る前は必ず本を読んでいた。そして、日記もつけていた。

冷蔵庫の中に、糠漬けを作っていたが、その糠味噌をかき混ぜるのは、祖母の役目だった。祖母は『糠味噌当番』と呼んで喜んでいた。自分で植えた二十日大根の摘み菜を漬けたり、胡瓜ができれば漬けたり、人参の尻尾や大根の切れっ端を入れて、美味しく食べた。祖母の口癖は、「ケチケチ財政が一番」だった。

祖母は私に、

「弱虫になったらあかん。あんたは頭がええ。気いが弱いのんが玉に瑕や。」

と言っていた。

暇ができると、祖母と二人で、アクリルの極太毛糸でタワシを編んだ。百も二百も編んだ。祖母といると、タワシを編むのでさえ楽しかった。

祖母がいた年の母の日は晴れていたので、母と祖母は庭に出て庭仕事をしていたが、私は妹と電話で話をして、一人三千円ずつ出し合って、母と祖母にそれぞれ花束をプレゼントすることにした。近くのコープに花屋があったので、母にはオレンジ系、祖母にはブルー系で花束を作ってもらった。そして、庭にいる二人にプレゼントしたら、祖母は庭先で、頰被りの姿で花束を受け取り、たいそう喜んでくれた。母も喜んだ。ブルーの花束は、ニゲラが綺麗だったのを覚えている。

祖母は年頃なのに、家で家事手伝いをしている私を不憫に思っていたのかもしれないし、心配もしたと思う。だから、弱虫になるな、と言ったのだろう。この言葉は、今も私の心の奥底の方に引っかかっている。

私は祖母のお気に入りの孫ではなかった。祖母のことは孫同士で取り合った。そんな娘たちを母は多分、呆れて見ていたに違いないが、叔母の一人は自分の娘を祖母のお気に入りにしたくて、色々画策していたようだった。その叔母の巧みな心理作戦に引っかかって、祖母はそのいとこを気に入っていた。私はわずかに嫉妬していた。誕生日に私には何もなくても、祖母は叔母に頼まれて、そのいとこの誕生日にはプレゼントを用意するのだった。少し面白くなかった。一緒に住んでいる孫より、別居している孫の方が可愛いのかもしれなかった。

しかし、私は初孫で、孫の中では祖母を一番知っている、と自負していた。小さい頃の思い出は、今も心に大切にしまってある。どうして祖母を取り合ったのか、不思議である。

(最終話に続く)

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